至上終末旅行〜your life is your own~

アニソン考察と対訳。聖地巡礼。響け!ユーフォニアム。吹奏楽。

アニメ化を切望する作品

目次

 

 

さよならトロイメライ

 

◦「萌え」が死語になりつつあります。

人々が萌えすぎた結果でしょうか?

あるいは萌えが作品内に遍在するようになり、「腹減った」「だるぅ」「眠ぅ」と同じ、心の中で無意識に発せられる(わざわざ口に出すまでもない)単語になったからでしょうか?

 

作者あとがきより引用

本作は学園物で密室でミステリーです。あと眼鏡っ娘でお嬢様で和服でちびっこでほんわかお姉さんです。

ひたすら動く主人公です。逆に、ひたすら動かない主人公です。

男の子頑張ってます。若干空回り気味ですが、そこは愛嬌です。

様式としてはデフォなのですが、この作品の萌えは風が吹くようにさりげない。

 

初恋は?と訊くと、幼稚園の先生と答える人がいますが、生まれて僅か五年以内に恋が分かられて堪るかという話です。

その時の感情を、現在において恋と変換しているだけでしょう。

 

オタクに限って通じる質問ですが、では初萌えは?と私は訊いてみたい。

「この気持ち」が萌えだと初めて自覚出来た時、どんな感覚だったか皆様想い出せるでしょうか?

それはもう初恋と同等かそれ以上にセカイが変わる瞬間と言えます。

萌え飽和時代、さよならトロイメライが映像化した暁には、もう一度そんな初萌えにも似た感情を胸裡に芽生えさせることでしょう。

「萌えの原点回帰」そうキャッチコピーが打ち出されても私は笑いません。

 

◦曰く「読者を選ぶ文体であり、文章」から生み出されるのは、ミステリであり漂わせる雰囲気は幻想小説を思わせるというアクの強さ。儚い青春。

足りないものを補うに余りある魅力が内包されている、そんな作品に私は途方もなく惹かれるのです。

 

※とまぁ、この評論における美化された思い出補正は否めませんが。

 

マルタサギーは探偵ですか?

 

◦教科書燃やしながら「僕は何もしたくない」とか言って、自主退学しちゃう無気力で自堕落でどこか憎めない奴が、少年漫画の主人公も驚く程、真っ当な努力で成長して幸せを掴むまでの物語です。

努力・友情・探偵・富士見ミステリー文庫が標榜するテーマ愛(?)、

放置同然で育てられた彼ですが、異世界(転移先)では物凄く愛されています。

愛です、愛ですよフジミ。

 

◦(もともと女性誌で執筆されていた事もあり、)女性読者でも楽しめるラノベになっています。

そう思える(あくまで主観ですが)のは珍しい部類で、

ラノベ層の九割強は男性であり(近年はそうでもないという意見もある)、

女性客の流入ラノベ層以外を対象としたマーケットの拡大は常に意識しても良い戦略ではないか、などと一読者ながら愚考します。

というのも、ラノベってどうなの?と近年私は思い続けているわけで。

①プロとして最低限のサービス、商品を作る。

② ①を満たしたうえで、ニッチに応え、その種の人々にとって100点(に近い)ものを提示する。

という商売の基本戦略はありますが、

一時期流行ったエロゲの下位互換の様な作品を観ていると、いよいよ層を絞りすぎている節が見えます。

ラノベの可能性はもっと開かれたものではないか?そう思ったのが、中学生だった頃の私です。

 

世の中の流れをコントロールする事は至難の業で(ごく一部の人間が波を起こしたものが広がりを見せるケースが多い、一般の人間はその波に乗ることになる)

現在ではネット小説、異世界、転移モノといったコンテンツが隆盛を振るっています。

まぁ、異世界物というのが一体どこまで開かれたコンテンツなのか、私には判断がつきませんが、なるようにしかならないのでしょうね。

どのジャンルもその時の流行廃りの枠組みの中で、転がる石のように転がるだけでしょう。

突然ラノベにシンギュラリティが起こらないとも言い切れません。

 

とはいえ、小説と漫画の混血のような存在で、

マルフォイなら「この穢れた血めっ!!」とかいいそうな微妙な立ち位置なのだよなぁ…(と改めてラノベアイデンティティを考える)

 

戦闘要塞マスラオ

 ◦「アニメ化の話は持ちかけられたが、

魔殺商会のメンツ(前作おりがみに登場するキャラクター)を登場させない簡略化された構成案だった為(ファンを納得させられないから)」断った先生にファンは惚れました。

 

ラノベエッセンス」を抽出した作品です。

ちなみにエッセンスを勘違いして制作されたのが「やっぱりラノベ原作クソつまんねー」と称される作品です(作品名はあえて伏せる)。

 

作者本人が「これ以上の作品はもう(自分のキャリアに)生まれない」と位置付ける作品であります。(そう語ったのは後年になってからの話ですが)

採算を度外視して、業界の未来に種をまくつもりで、仕方ないとばかりに「おりがみ」からアニメ化するくらいの気概が私は観てみたかった。

まぁ業界でダメなら、という話はあとがきで。

 

薔薇のマリア 

 

◦ 『僕は何度も生まれ変わる』|十文字青|pixivFANBOX

要約すると、

何故アニメ化するのか分からない作品がアニメ化し、

何故アニメ化しないのか分からない作品がアニメ化しない事は、業界では日常茶飯事。

つまり風向きひとつだった。(アニメ化は十分にあり得た)】

切ない述懐です。本人的には大した問題じゃない様にも伺えますが。

 

◦あーちくしょー…BUNBUN先生の美麗な3d作画そのままに、登場人物全員人格破綻してて、緻密なアンダーグラウンドの世界観が繰り広げられるあの世界を映像で観てみたかったなー。

異世界転生、ゲーム世界への移行ではなく、

ゲーム世界そのものをモデルするあの世界観は今にしてみるとすんごい新鮮に写って最高だったと思うんだけどなぁー。

 

 

自殺島

 

 ◦円盤封入特典(仮)の

無人島で生活してみた(スタッフオンリー)」とか観てみたいのです。

弓矢で鹿を狩る作画監督とか、発狂するシリーズ構成とか。

 

森恒二氏は、求道する人物(特に主人公)を描き続けてきた漫画家です。

 

「ロックンロールとは生き様だ!!」とは至言ですが、

森恒二作品は「現代を生きるロックンローラー」である、と私は言いたい。

 

バガボンド

 

◦原作の粗さをアニメが補完するというのはよくある話で、鬼滅が良い成功例だったかと思います。

逆もまた然りですが、初から「映像化は厳しいだろうな」と思う漫画も非常に少ない。

スラムダンク映画化は当初不安しかありませんでしたが、先生自ら監督(をはじめとする制作)をされるという事で一安心してます。

 

 

ハチワンダイバー

 ◦「キャラが立つ」という言葉の意味は、ヨクサル先生の漫画で覚えました。

熱量という言葉が持つ意味も。 

ただそれはあくまで作品における肉付けの部分なので、は必要になる事も。

それが本作では、最終話の「さぁ…人類よ 将棋を指そう」というメッセージ(将棋賛歌)だったと思うのですが、

昨今の作品はどうもその三つが弱い気がしてならないのです。

もはや一つも存在しないのまであったりします。

 

◦ところで、何故漫画を実写にする必要があるのか?

手軽に売り込める?ある程度の概算は取れる?

違う違うんですよ。昇華しないじゃあないですか?遙かに漫画(素材)のままの方が素晴らしいじゃあないですか。料理する意味がないじゃないですか。

 じゃあ何なら漫画を昇華させられるのか?

アニメーションしかないと私は思います。

 

 

将棋の渡辺くん

 

 

◦5分アニメ。

あー、(将棋ファンには)需要しかない。需要しかない。

 

夢をかなえるゾウ

◦入店2時間が経過した回転寿司屋みたいな(景色の)アニメ業界で、

こういう異物をレーンに並ばせる勇気は持ってて欲しいなぁ…急に一皿だけうんこ流れてきたら一回みんな振り向くでしょ。いや、全然誉め言葉ですからね。

 

あとがき

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「制作会社が動かねぇなら、俺達で映像(アニメーション)にするしかねぇだろう」

 

「製作費は?スタッフは?原作者の許可はどうなさるおつもりですか?」

 

クラウドファンディングでも募ればいい。引き抜けなきゃ俺達で一から技術を学び始めるだけだ。許可が下りなきゃ秘密裏に上映会でもするしかねぇだろ。

こいつは別に金を儲けじゃあねえんだ。

利益を度外視した同人の枠を超えた創作活動だ。

純粋にファンだけを納得させられるモノを作って喜びあえればそれでいい。

胸が躍るじゃあねえか。」

 

とまぁ、ここまで書いて、ここまで情熱のある人間は業界で既に働いているだろうなとか、そういえば前記事のあとがきにもこんなことを書いていたなと想い出しました。

貼り付け

他力本願をするなら、Netflix等に一縷の望みを託すしかないのでしょうね現実的に。

しかし、ピンポイントで希望する映像化を実現しようと思えば、これはもう他力では不可能だとは思いますが。

リメイクを切望するアニメ

 目次

 

 

HUMAN LOST 人間失格

 増殖する夜神月 - Bダッシュが消えた日に

小畑絵→謎の爆裂サイクルヒットを飛ばしてから、10余年。

「…っていうか小畑絵にすれば行ける!行けるでぇこれぇ!!」という判断で、制作された(と私は考察している)ヒューマンズロスト人間失格

別に原作をレイプしなくてもいいと思うのですよ。新解釈とかもいらない。

罪と罰をポリッシュしたと思しきものがデスノートだったりするので、やぶへびかもしれませんが。

 

原作通りにに実直に朴訥に。

そろそろ古典や名作と呼ばれるものを現代の制作技術でアニメ化されても良いと思うのですよね。それこそ小畑絵で。(もちろん「原作の良さありき」なことは言うまでもなく。イラストやキャラデザはあくまで「入り口」としての役割が大きいわけで。)

 

 

狼と香辛料

久しぶりに原作を読んでみると、自分がロレンスの年齢にまで到達していた事に気づき狼狽しました。

昔は想像と共にその旅路を眺めていたものですが、

ただ、歳をとるのも悪くないと思える事の一つは、10代以外のキャラクターに標準があってくる。想像が共感に変わる事です。

ある年齢までいった男の独り身の寂しさとか、こんな生活から一緒に「誰か」と旅に出られたらどれほどロマンスか…と共感しながら読んでいると楽しい。

 

過去のアニメシリーズにこれといった不満は無いのです。キャストはこの二人以外考えられない。ベストキャストと言っていいでしょう。

ただ、昨今のハーレム群像に唯一神(ヒロイン)たるホロを、

「ホロさえいればいい」という価値観を鉄槌として振り下ろしてみたい。

 

十二国記


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不満なのは作画だけです。時代が時代なので仕方ありませんが。

と、いうより今観返すから、そんな感想を抱かざるを得ないのですが。

 

ミス原作厨に聞けば、原作を脚色された事に対してもお怒りがあるようで、

曰く「私の人生の教科書を!!教科書を歪曲するなぁぁぁぁぁぁ」

どうやら追加キャラがお気に召さなかったようです。

 

ARMS

 

 

小4の夏でした。

整形外科の待合室にARMSがあった事が運の尽きというか。院内で発症させられました。

以後、もはやARMSを読むために骨折しにいったみたいなところはある。

 

どうも厨二病という言葉の使い勝手が良すぎて、世間では一括りにされている風潮がある。

傭兵上がりの素手で異能力者を倒せるオッサンとか、チャクラ解放とか、魔獣と書いて【ジャバウォック】と呼ばせたりとか、挙げ句の果てに「力が欲しいか?力が欲しければ…くれてやる」とか、まぁ本作も隅々に至るまで清々しいまでのそれなんですけど。

 

コンテンツとして浸透して、挙げ句冷笑を浴びせされる状態が現在なのかもしれませんが、「帰ろうよ」と、もう一度。

胸裏に湧き上がってくる全能感にも似た気持ちをそう呼ばなかったあの頃のぼくたちに。

異世界モノね、日常モノね、とついつい見切りがちな昨今、その〜モノを改めて見つめ直そうじゃあないかと私は思うのです。そして改めてそこへ回帰を果たせたらと思うのです。

 

エアマスター

 

 

エロさを感じさせないプリキュア

時系列的に逆だろ。

プリキュアに催してたのかよお前は。いうツッコミは無しで。

 

しかし現代の作画で描かれるマキが果たしてマキと言えるのかという問題が……エロ可愛くないからあのファイトは純然なファイトとして成立していると言えますからね。

 

あとがき

NetflixがSPRIGGANリメイクを発表したのが記憶に新しい。

 

【ニーズに沿ったリメイクor新作アニメ化。

新規顧客【潜在的顧客(原作ファンなど)】の加入や現在の顧客の契約を繋ぎとめる原動力に。

→そこで得た利益を再び制作費に充てる。】

そんな好循環が好ましい。

 

リスク(出資金)に対して、リターンのつり合いが不透明ではあるのですが、現在のリサイクル動画配信と並行して、他の動画配信会社も積極的に新しい映像を創り出していくのが理想的であるように思えます。

どんな業界もリスクを取り、未来への先行投資が無ければ、停滞はあれど発展は無しえないでしょう。

続編を切望するアニメ

目次

 

ハクメイとミコチ

Lerche制作。

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卿が(原作の)緻密な世界描写を絶賛していた件。

Lercheの映像においてもそれは健在でした。

 

「終わりがない」類のアニメです。

NHKで夕方5時台に放送されて欲しい徳育性もあります。

「ファンタジー」世界であるものの、そこには「確かな生活」が描かれており、強者も弱者も関係無い。

「差別のない世界」というより、「あるものはある、ないものはない」それを体現する世界です。

そこには否定ではなく受容があります。

我々が目指すべき「地球という一つの国家」、その理想が描かれているのではないでしょうか。

現代風に言えば「癒し系アニメ」といった所でしょうか。

幻想に浸される癒しではなく、何かもっと現実《リアル》に根差した癒しがそこには存在します。

 

放課後ていぼう日誌

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動画工房制作

 

こういう作品を女性作家が書けば、きらら系(女子高生の日常)になる。

こういう作品を男性作家が書けば、このように女子高生の日常を変容させられる。

一話の蛸(触手)に始まりそのスパイスの聴かせ方は、男性作家ならではでしょう。

一言で言えば「女子高生の皮を被った何か」を作品内で動かせる。

それは女子高生の日常というもの、ただ可愛いだけのアニメと揶揄されるものに辟易している人間にとっては絶妙なアクセントをもたらします。

ちなみにばくおん!!も同じ穴の狢だといえます。

 

ホームが急に戦争を仕掛けてくるのが日本です。

聖地が攻撃を受けた日にはもう私には溢れんばかりの悲しみに襲われます。

続編を期待する以前に、原作者と聖地が心配です。

 

 

安達としまむら

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手塚プロダクション制作

 

巷(ネット上)で見かける、手塚プロ(笑)

その(笑)には溢れんばかりの愛があります。ただの嘲笑とは一味違うのです。

もはやそれはある種の信頼ですらあります。

手塚プロ手塚プロとしてこれからも繁栄していくでしょう。

 

モブサイコ100

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ボンズ制作

 

凡百の原作→ 「通常営業のアニメ制作=現状の最適化」→凡百のアニメ作品

「ONE原作」という化け物じみたポテンシャル→「政策委員会が本気になる。クリエイティビティを発揮して原作を再構築する」→???%のアニメ作品

 

クオリティーの違いは必然なんすよねぇ…(もちろんボンズの有能さは語るまでもないですが)

 

放課後さいころ倶楽部

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RIDEN FILM制作

 

旅訓Ⅲ

 

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◦旅先で標語や格言が目に留まる。

おそらく私自身、答えを探して旅に出ているからなのだろう。

日常的な悩みを俯瞰する事で、その後の指針にすることが出来る。

周期的に旅に出て自分を見直す習慣づけは好ましいものだと思う。

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聖地巡礼と言えど、聖地に固執するのは如何なものか、

その土地々々の名所も巡りたいと思うようになったのもやはり、幾度となく巡礼に訪れたからではあるのだが。

 

◦私にとって旅は今に生き、身の向くままが理想だ。

特にタイムスケジュールから解放された旅をしてみたい。

 

◦あれこれ考える、これが邪魔になる時は多い。

何も考えない(様に見える)人間が起こす奇跡を私は幾度も見てきた。

旅訓Ⅱ

 

◦眼鏡を掛け観た世界には死角がある。旅の景色に死角は不要である。

(最も個人に見える世界など死角だらけであるが…)

 

 ◦趣味とは、大人が行う「遊び」に過ぎない。

それも、ひたすらに自分を気持ちよくさせる事に終始しているのである。

これが高尚である事は不自然である。

 

◦片付いていないタスクがあると、それが旅のどこかで頭によぎる。

一度でいいからオールクリアな状態で巡礼をしてみたい。

そしてオールハッピーになるのだ。

「今この瞬間に集中するために」人間は(広い意味で)戦わなくてはならないのだろう。

旅の中で私は「幸せの意味」を見つけたのではないだろうか。

 

◦宇治で読書をするなど贅沢だ。言いつけてやる。言いつけてやる~。

 

◦写真はイメージを喚起し、動画は五感を呼び起こす。

 ◦好奇心が冒険を生み、冒険が好奇心を生む。

それを失くしたとき、人は老いるのだろう。

 

◦現地でイマジナリーフレンド(二次)に話しかけたりする自分がいる。

最近どうも、孤独が臨界点を超えたんじゃないか。

 

 ◦旅の間、望外な幸運に見舞われると、ふと、神の存在を感じるのである。

何処かで私をみていてくれるのではないかと。

 

◦作画が粗い作品の聖地に行けば「(現地の)解像度」に感動する。

作画が美麗な作品の聖地に行けば「臨場感」に感動する。

がっかりさせてくれる聖地というのは一体どこにあるというのか。

 

◦本物の聖地巡礼とは何か。一度、自分の人生の聖地巡礼をした事がある。

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◦こういうのをえちえちっていうんだよ馬鹿やろぉぉ!

 

◦ 明確な目標を設定→詳細な計画を立てる→実行する

ナポレオンヒルの「思考は現実化する」より脈々と受け継がれる、自己啓発の本流である。

旅では寄り道やわき道をそれる楽しさもあるし、それが近道になる事もあるだろうと私は思う。

人生も同様であろう。

本当に一点だけを見て歩き続けることは幸せだろうか。果たしてそれで足元の石に気づかず「躓かない」ことはありえるのだろうか。

きんいろモザイク THANK YOU 感想【スタンダード】

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2021 09/15  T・ジョイ京都

 

◦日常系、きらら作品を主として味わうことが無いため、こう感じるのかもしれません。最期まで見通した作品は数えるほどです。

顛末を見送っていないからこう感じるのかもしれないと、先に断っておきます。

きんいろモザイクがひとつの正答例である、と。

入学から(正確にはそれ以前から)卒業後にいたるまで、

登場人物の人生に至るまで掘り下げてそして終わらせる。

この作品はスタンダードを創ったのではないでしょうか。

 

もちろん日常を描き「視聴する自分に」優しく寄り添ってくれる事を望んでいる人間が大半でしょう。

しかし、そんな寄り添ってくれた彼女達が「自分の未知へ」進む姿に、私は寂しさを上回る、自らの内に湧き上がる勇気を感じました。

 

このスタンダードにおいて、特筆すべきなのは全員の物語を解決させてしまっているところにあります。

ジョジョ風に言えば、白の中にいる

白というのは抽象的な概念ですが、この世の、あるいは個人が正しいと信じる真理(信念、精神性)の事です。

彼女たちは誰一人として黒の中へ進んだ人はいませんでした

それは箱庭からの最適化された脱出方法です。

もちろん日常エンドもやり方も一つでしょう。

しかし少なくとも、岐路に立つ視聴者にとっては。それ以上の手法であると私は感じました。

 

劇場版としてきんいろモザイク THANK YOUが深い充足を与えてくれたのは、

画面上からにじみ出る優しさ、彩られる淡い色彩(タッチ)、他(きらら作品)の追随を許さないコミカルなセリフ運び、キンパツ!!(変態性)を崩さずに…つまりらしさを失わずに

これまで以上にキャラを掘り下げ彼女たちの人生に肉薄したからに他なりません

そしていわずもがな、全シリーズに共通する愛を最後まで描き切ったことです。、

(ここでいう愛は、恋愛という倒錯的な意味ではなく、親愛など広義的な意味で使っている)

 

キララアニメをはじめとする日常系、萌えアニメというものは、

定型的な流れ、つまり「型」があり、

つまりその型の範疇でしか「見積もれない」作品であると私は思っていたのですが、

本作のように「この深度」まで掘り下げる事も出来るし、人間関係の機微、友情まで深く描けるものかと、感心しました。

そもそも一期一話がすでに劇場版の如き風格、味わい、満足感をもたらせてくれていた事を今更ながら想い出しました。(あれを冒頭に差し込んでくる製作陣の有能さと言ったら)

まさにきららアニメ、日常系アニメにおいてキン字塔とな作品である…そう私は信じています。

 

 

 

あとがき

◦…なんというか…種ちゃんの小路綾が聴けたのは僥倖だったと、…はい思います(ボソボソッ)。

 

◦きらら漫画(4コマ)というのは、そもそもオチを付けようと思っているのか…

そんなことオジサンは考えてたのね。

でもね、きんモザは違ったの。

劇場版でもドッカンドッカン(?)笑い取ってくるの。

合格祈願の舞とか、この大画面、大観衆の前で滑っちゃうのかしら…不安になったのだけれど、無事天丼かましてくれてやがんの。

おじさんやっぱりきんいろモザイクは「ゆるふわ」なんかじゃなく、しっかり「コメディ」が出来る子だなって感心しちゃった。

 

T・ジョイ京都 フロア

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京都タワー 展望室

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旅訓Ⅰ

 

◦写真は日記として活用できる。クオリアを映す鏡になる

 

◦意味は理解から生まれる。

 

◦春夏秋冬が持つ意義。

 

◦歩くという行為はつくづくメンタルに良い。

 

◦幸運とは偶然の産物ではない。

 

◦青春とは胸の高鳴りとみたり。

 

◦「体力作り」

事前準備としては必須項目である。

 

◦毎年同じものを観られる事は幸せなことなのだろう。

ささやかな幸せは奪われる事がない。

 

◦期待が不快感情を生み出す。

だとすれば、他者への期待など捨て去った方が幸せになれるのだろう。

 

◦「想い出」を辿ると、そこには必ず行動がある。

 

◦決断は重要だが、併せて読みの力も必要。

そして読みの精度を狂わせるのは恐れだ。

 

◦宇治は待ってくれている場所、帰ってくる場所、お前の地元は宇治か。

最近私は武田先生をママって呼んでます。バブみすら感じてます。